麻生首相が今国会で行う施政方針演説の原案全文が17日、明らかになった。
消費税率引き上げについて、経済状況の好転を前提に2011年度からの実施を改めて強調しているほか、雇用情勢の急激な悪化を受け3年間で160万人の雇用対策を実施するとしている。市場万能主義を批判し、小泉元首相が進めた構造改革路線からの決別を鮮明にしているのも特徴だ。
政府・与党は、首相の施政方針演説について、26日の実施を目指している。
演説は、首相の「哲学」と「実行方針」を国民に訴えることに力点を置いた。冒頭で「目指すべき社会」を述べた後、政策の柱立ては各省施策の羅列を極力排し、主要課題に絞り込んだ。その結果、原稿の分量も約8300字と、2006年の小泉首相(当時)以降では最少になっている。
原案では、景気対策を急ぎ、世界同時不況から早期に脱出する考えを強調。同時に「大胆な財政出動を行うからには、財政に対する責任を明確にしないといけない」として、持続可能な社会保障制度実現のため「経済状況を好転させることを前提に、消費税を含む税制抜本改革を11年度より実施できるよう、必要な法制上の措置をあらかじめ講じ、10年代半ばまでに段階的に行う」とし、11年度からの消費税率引き上げに重ねて意欲を見せた。
深刻化する雇用情勢に対応するため、昨年12月に決定した追加雇用対策で「3年間で140万人の雇用」としていたのを、3年間で160万人の雇用を目指す方針を掲げた。政府が近くまとめる「雇用ニューディール(新規まき直し)計画」(仮称)による雇用対策などを反映させ、目標を上方修正したものだ。
政府の役割については、「『官から民へ』『大きな政府か小さな政府か』といった発想だけでは、あるべき姿は見えない。市場にゆだねればすべてが良くなるものではない」と指摘し、構造改革路線から決別する姿勢を示している。
ソマリア沖の海賊対策では、「実行可能な対策を早急に講じ、新たな法制の整備を検討する」と述べ、現行法に基づく海上警備行動発令による海上自衛隊派遣と「海賊処罰取締法」(仮称)制定への決意を示す考えだ。
◆施政方針演説原案の骨子◆▽「新しい秩序創りへの貢献」と「安心と活力ある社会」を目指す▽「官から民へ」のスローガンだけでは、あるべき政府の姿は見えない。市場にゆだねればすべて良くなるものではない▽雇用創出基金などで3年間で160万人を雇用▽消費税を含む税制抜本改革を2011年度から実施できるよう、必要な法制上の措置を講じ、10年代半ばまでに段階的に行う▽ソマリア沖海賊への実行可能な対策を早急に講じ、新たな法制整備を検討
Created in 0.2662 sec.
上場企業の株券は5日から
Thu 22 Jan’09
上場企業約4千社の株券が5日、すべて無効になり、電子データに置き換わる。売買の際に株券の受け渡しや名義書き換えの手続きが必要なくなり、配当金の受け取りも便利になる。ただ、これまで名義を書き換えていなかった株主は権利を失う可能性があることから、関係者は引き続き注意を呼びかけている。
上場企業の株券は5日から、法的にはただの紙切れになる。株式の電子データは証券会社などを通して、証券保管振替機構(通称・ほふり)が管理。株主は証券会社や信託銀行に開かれる口座で、権利を確認するようになる。
電子化の利点は、取引の効率化や安全性の向上だ。株主や証券会社は売買時の株券の受け渡しや、盗難・紛失のリスクがなくなり、偽造株券の流通も防げる。上場企業も株券の発行コストが必要なくなり、費用削減効果は計1千億円に上るとの見方もある。
企業からの配当金の受け取り方法も拡大する。保有するすべての銘柄の配当金を、指定する金融機関の口座で一括して受け取ることができるほか、証券会社に開く口座での受け取りも可能になる。
一方で、トラブルへの懸念は消えない。ほふりに預託されていない株式(全体の約5%)のデータは、上場企業が信託銀行などに開く「特別口座」で管理される。株を売却する際には証券会社に口座を開く必要があるが、手続きができるのは今月26日以降で、それまでは売却できない。
電子化までに株を本人名義に書き換えていない場合、他人名義のまま特別口座にデータが登録され、知らないうちに売却されるおそれもある。無効になった株券を悪用して金銭をだまし取る詐欺行為がでてくる心配もある。ほふりや日本証券業協会は今後も、チラシや広告などで電子化制度を説明していく予定だ。
上場企業の株券は5日から、法的にはただの紙切れになる。株式の電子データは証券会社などを通して、証券保管振替機構(通称・ほふり)が管理。株主は証券会社や信託銀行に開かれる口座で、権利を確認するようになる。
電子化の利点は、取引の効率化や安全性の向上だ。株主や証券会社は売買時の株券の受け渡しや、盗難・紛失のリスクがなくなり、偽造株券の流通も防げる。上場企業も株券の発行コストが必要なくなり、費用削減効果は計1千億円に上るとの見方もある。
企業からの配当金の受け取り方法も拡大する。保有するすべての銘柄の配当金を、指定する金融機関の口座で一括して受け取ることができるほか、証券会社に開く口座での受け取りも可能になる。
一方で、トラブルへの懸念は消えない。ほふりに預託されていない株式(全体の約5%)のデータは、上場企業が信託銀行などに開く「特別口座」で管理される。株を売却する際には証券会社に口座を開く必要があるが、手続きができるのは今月26日以降で、それまでは売却できない。
電子化までに株を本人名義に書き換えていない場合、他人名義のまま特別口座にデータが登録され、知らないうちに売却されるおそれもある。無効になった株券を悪用して金銭をだまし取る詐欺行為がでてくる心配もある。ほふりや日本証券業協会は今後も、チラシや広告などで電子化制度を説明していく予定だ。
— posted by サイト管理者 at 07:03 pm
雇用調整助成金
Sat 10 Jan’09
ラーメン店で無銭飲食したとして、静岡県警磐田署は27日、住所不定、無職の男(41)を詐欺の疑いで逮捕した。男は磐田市内の自動車組み立て工場で派遣社員として働いていたが、「11月末に解雇され、(今月)25日に寮も退去させられた。仕事と住居を失って生活が苦しかった」と供述しているという。逮捕時の所持金は14円だった。
調べでは、男は26日午後9時ごろ、同県袋井市内のラーメン店で、チャーハンとギョーザ(1280円相当)を注文。食べた後、携帯電話で話をするふりをして店外に出て逃走した疑い。約1時間後に同市内の交番に自首した。【田口雅士】
【関連記事】 派遣労働者:07年度は最多の384万人 賃金は10%減雇用調整助成金:339件受理、対象2万人超す 12月生活危機:08世界不況 生活苦深刻、悲鳴2万件 貧困電話相談で浮き彫り貧困:16団体の電話相談に悲鳴2万件 生活苦が深刻非正規従業員:「野垂れ死にする」…年内限りに声震わせ
調べでは、男は26日午後9時ごろ、同県袋井市内のラーメン店で、チャーハンとギョーザ(1280円相当)を注文。食べた後、携帯電話で話をするふりをして店外に出て逃走した疑い。約1時間後に同市内の交番に自首した。【田口雅士】
【関連記事】 派遣労働者:07年度は最多の384万人 賃金は10%減雇用調整助成金:339件受理、対象2万人超す 12月生活危機:08世界不況 生活苦深刻、悲鳴2万件 貧困電話相談で浮き彫り貧困:16団体の電話相談に悲鳴2万件 生活苦が深刻非正規従業員:「野垂れ死にする」…年内限りに声震わせ
— posted by サイト管理者 at 02:39 pm
長崎を出発した別働第二旅団
Sat 27 Dec’08
[編集] 衝背軍上陸
官軍南下軍は2月の高瀬の戦い以来目立った成果を収めることができずにいた。そこで高島大佐の建議により、熊本鎮台との連絡をとること、薩軍の鹿児島と熊本間の補給・連絡を遮断すること、薩軍を腹背から挟撃すること等の企図を持った軍が派遣されることになった。黒田清隆中将が参軍となり、この上陸衝背軍を指揮することにした。
最初の衝背軍は3月18日、長崎を出発して八代に向かった高島鞆之助大佐(後に少将)率いる別働第二旅団(後に別働第一旅団に改称)であった。この旅団は3月19日、艦砲射撃に援護されて日奈久南方の州口及び八代の背後に上陸し、薩軍を二面から攻撃して八代の占領に成功した。20日には黒田清隆参軍率いる1箇大隊半と警視隊500名余が日奈久に上陸した。薩軍では二番大隊一番小隊が日奈久、二番大隊五番小隊が松崎西南の亀崎、二番大隊六番小隊が熊本西北の白浜で海岸警備をしていたが、なんら効果的な防御ができなかった。
官軍の八代上陸の報を得た薩軍は、熊本長囲軍の一部を割き、三番大隊指揮長永山弥一郎率いる5箇中隊・都城隊・二番砲隊を八代に派遣した。3月20日、薩軍先遣隊と高島大佐率いる官軍は氷川を挟んで激戦し、薩軍は対岸に進出した。しかし、翌21日には増援を得た官軍が押し返し、薩軍を砂川に退却させた。22日、黒田参軍は八代から宮の原に出、ここで薩軍と激戦した。増援を得た薩軍と官軍の戦闘は24、25日と続き、戦況は一進一退した。
3月24日、長崎を出発した別働第二旅団(山田少将)・別働第三旅団(川路少将)は25日午後、八代に上陸した。このとき一旦各旅団の名称が改められたが、後29日に再び改称されて次のようになった。
高島鞆之助大佐の旅団 ─ 別働第一旅団
山田顕義少将の旅団 ─ 別働第二旅団
川路利良少将の旅団 ─ 別働第三旅団(警視隊を主体として編成)
黒川通軌大佐の旅団 ─ 別働第四旅団
[編集] 小川方面の戦い
3月26日、黒田参軍は別働第一旅団を左翼、別働第二旅団を中央、警視隊を右翼に配し、艦砲射撃の援護のもと三方から小川方面の薩軍を攻撃し、激戦の末、薩軍を撃退して小川を占領した。この時、薩軍の猛将永山弥一郎は「諸君何ぞ斯(かく)の如く怯なる、若し敵をして此地を奪はしめんか、熊本城外の我守兵を如何にせん、大事之に因て去らんのみ、生きて善士と称し、死して忠臣と称せらるゝは唯此時にあり、各死力を尽し刀折れ矢竭(つ)き而して後已(やまん)」(『薩南血涙史』)と激励したが、戦況を逆転することはできなかった。
[編集] 松橋付近の戦い
3月30日、黒田参軍は別働第三旅団に娑婆神嶺、別働第一旅団・別働第二旅団に松橋を攻撃させた。別働第三旅団は娑婆神嶺を占領、別働第一旅団と別働第二旅団は大野川の線まで前進した。翌日、別働第二、第三旅団は山背と本道の両面から松橋を攻撃し、別働第一旅団は北豊崎から御船に進み、薩軍の右側を攻撃した。これに耐えきれず、薩軍が川尻に後退したので、松橋を占領した。
[編集] 宇土・堅志田・緑川の戦い
4月1日、別働第一旅団が薩軍夜襲隊を追撃して宇土を占領した。また別働第三旅団は甲佐に退却した薩軍を追撃して堅志田を占領した。3日、早朝の霧に乗じた薩軍の急襲を別働第三旅団は激闘5時間の末、これを退け、追撃して緑川を越えて薩軍の側背を衝き、進んで甲佐を占領した。薩軍は悉く御船に退却した。6日、黒川通軌大佐率いる別働第四旅団が宇土戸口浦に上陸した。7日には緑川左岸に進出している薩軍を別働第二旅団が別働第一、第四旅団の援護を得て右岸に押し返した。また第二、第四旅団は木原山急襲の薩軍を挟撃して川尻に敗走させた。
[編集] 御船の戦い
黒田参軍は衝背軍を部署し、次の方面への一斉進撃を企図した。
甲佐・御船・吉野 ─ 別働第三旅団
隈庄・鯰村・上島 ─ 別働第一旅団
上記旅団の予備隊 ─ 別働第一、二旅団の一部
緑川下流・川尻 ─ 別働第二旅団
同上 ─ 別働第四旅団
4月12日、別働第三、第一旅団は一斉に攻撃を開始した。別働第一旅団は宮地を発して緑川を渡り、薩軍を攻撃した。薩軍は敗戦続きに気勢揚がらず、民家に放火して退却した。この時、負傷を推して二本木本営から人力車で駆けつけた永山弥一郎は酒樽に腰掛け、敗走する薩軍兵士を叱咤激励していたが、挽回不能と見て、民家を買い取り、火を放ち、従容として切腹した。かくして御船は官軍に占領された。
同12日、別働第二旅団は新川堤で薩軍の猛射に阻まれ、第四旅団も進撃を阻止された。翌13日、別働第二旅団と別働第四旅団は連繋しながら川尻目指して進撃した。別働第四旅団の一部が学科新田を攻撃して薩軍を牽制している間に、主力が緑川を渡り、薩軍と激戦しながら川尻へと進んだ。川尻に向かった別働第四旅団と第二旅団は両面から薩軍を攻撃して退け。
遂に川尻を占領した。
官軍南下軍は2月の高瀬の戦い以来目立った成果を収めることができずにいた。そこで高島大佐の建議により、熊本鎮台との連絡をとること、薩軍の鹿児島と熊本間の補給・連絡を遮断すること、薩軍を腹背から挟撃すること等の企図を持った軍が派遣されることになった。黒田清隆中将が参軍となり、この上陸衝背軍を指揮することにした。
最初の衝背軍は3月18日、長崎を出発して八代に向かった高島鞆之助大佐(後に少将)率いる別働第二旅団(後に別働第一旅団に改称)であった。この旅団は3月19日、艦砲射撃に援護されて日奈久南方の州口及び八代の背後に上陸し、薩軍を二面から攻撃して八代の占領に成功した。20日には黒田清隆参軍率いる1箇大隊半と警視隊500名余が日奈久に上陸した。薩軍では二番大隊一番小隊が日奈久、二番大隊五番小隊が松崎西南の亀崎、二番大隊六番小隊が熊本西北の白浜で海岸警備をしていたが、なんら効果的な防御ができなかった。
官軍の八代上陸の報を得た薩軍は、熊本長囲軍の一部を割き、三番大隊指揮長永山弥一郎率いる5箇中隊・都城隊・二番砲隊を八代に派遣した。3月20日、薩軍先遣隊と高島大佐率いる官軍は氷川を挟んで激戦し、薩軍は対岸に進出した。しかし、翌21日には増援を得た官軍が押し返し、薩軍を砂川に退却させた。22日、黒田参軍は八代から宮の原に出、ここで薩軍と激戦した。増援を得た薩軍と官軍の戦闘は24、25日と続き、戦況は一進一退した。
3月24日、長崎を出発した別働第二旅団(山田少将)・別働第三旅団(川路少将)は25日午後、八代に上陸した。このとき一旦各旅団の名称が改められたが、後29日に再び改称されて次のようになった。
高島鞆之助大佐の旅団 ─ 別働第一旅団
山田顕義少将の旅団 ─ 別働第二旅団
川路利良少将の旅団 ─ 別働第三旅団(警視隊を主体として編成)
黒川通軌大佐の旅団 ─ 別働第四旅団
[編集] 小川方面の戦い
3月26日、黒田参軍は別働第一旅団を左翼、別働第二旅団を中央、警視隊を右翼に配し、艦砲射撃の援護のもと三方から小川方面の薩軍を攻撃し、激戦の末、薩軍を撃退して小川を占領した。この時、薩軍の猛将永山弥一郎は「諸君何ぞ斯(かく)の如く怯なる、若し敵をして此地を奪はしめんか、熊本城外の我守兵を如何にせん、大事之に因て去らんのみ、生きて善士と称し、死して忠臣と称せらるゝは唯此時にあり、各死力を尽し刀折れ矢竭(つ)き而して後已(やまん)」(『薩南血涙史』)と激励したが、戦況を逆転することはできなかった。
[編集] 松橋付近の戦い
3月30日、黒田参軍は別働第三旅団に娑婆神嶺、別働第一旅団・別働第二旅団に松橋を攻撃させた。別働第三旅団は娑婆神嶺を占領、別働第一旅団と別働第二旅団は大野川の線まで前進した。翌日、別働第二、第三旅団は山背と本道の両面から松橋を攻撃し、別働第一旅団は北豊崎から御船に進み、薩軍の右側を攻撃した。これに耐えきれず、薩軍が川尻に後退したので、松橋を占領した。
[編集] 宇土・堅志田・緑川の戦い
4月1日、別働第一旅団が薩軍夜襲隊を追撃して宇土を占領した。また別働第三旅団は甲佐に退却した薩軍を追撃して堅志田を占領した。3日、早朝の霧に乗じた薩軍の急襲を別働第三旅団は激闘5時間の末、これを退け、追撃して緑川を越えて薩軍の側背を衝き、進んで甲佐を占領した。薩軍は悉く御船に退却した。6日、黒川通軌大佐率いる別働第四旅団が宇土戸口浦に上陸した。7日には緑川左岸に進出している薩軍を別働第二旅団が別働第一、第四旅団の援護を得て右岸に押し返した。また第二、第四旅団は木原山急襲の薩軍を挟撃して川尻に敗走させた。
[編集] 御船の戦い
黒田参軍は衝背軍を部署し、次の方面への一斉進撃を企図した。
甲佐・御船・吉野 ─ 別働第三旅団
隈庄・鯰村・上島 ─ 別働第一旅団
上記旅団の予備隊 ─ 別働第一、二旅団の一部
緑川下流・川尻 ─ 別働第二旅団
同上 ─ 別働第四旅団
4月12日、別働第三、第一旅団は一斉に攻撃を開始した。別働第一旅団は宮地を発して緑川を渡り、薩軍を攻撃した。薩軍は敗戦続きに気勢揚がらず、民家に放火して退却した。この時、負傷を推して二本木本営から人力車で駆けつけた永山弥一郎は酒樽に腰掛け、敗走する薩軍兵士を叱咤激励していたが、挽回不能と見て、民家を買い取り、火を放ち、従容として切腹した。かくして御船は官軍に占領された。
同12日、別働第二旅団は新川堤で薩軍の猛射に阻まれ、第四旅団も進撃を阻止された。翌13日、別働第二旅団と別働第四旅団は連繋しながら川尻目指して進撃した。別働第四旅団の一部が学科新田を攻撃して薩軍を牽制している間に、主力が緑川を渡り、薩軍と激戦しながら川尻へと進んだ。川尻に向かった別働第四旅団と第二旅団は両面から薩軍を攻撃して退け。
遂に川尻を占領した。
— posted by サイト管理者 at 05:50 pm
実用ロケットの打ち上げ
Sat 13 Dec’08
種子島宇宙センター(たねがしまうちゅうセンター)は、宇宙航空研究開発機構 (JAXA)が鹿児島県種子島に設置し運用している、大型ロケットの射場(宇宙センター)である。略称はTNSC。TSCと呼ばないのは、同じJAXAの筑波宇宙センター(TKSC)と区別するためである。
目次 [非表示]
1 概要
2 主なロケット打ち上げ実績
3 施設
3.1 大崎射場
3.1.1 吉信射点
3.1.2 大崎射点
3.1.3 射点以外の設備
3.2 竹崎射場
3.3 射場以外の施設
4 所在地
5 関連項目
5.1 軌道投入後の運用管制センタ
5.2 固体ロケット関連の射場
6 外部リンク
[編集] 概要
ウオッちず Google Map 種子島宇宙センター
種子島宇宙センターは、1969年10月、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の前身、宇宙開発事業団 (NASDA) の設立時に開設された。面積は8.64平方キロメートル。現在はJAXAが保有しており、内之浦宇宙観測所でのM-Vロケット打ち上げが終了したXX年以後、日本の衛星打ち上げ用ロケットは全てここから打ち上げられている。
種子島宇宙センターは種子島の南、太平洋側にある南種子町の竹崎と吉信崎に囲まれた湾に面した土地に施設が点在しており、三つのロケット発射施設(JAXAの用語では射場)をもつ。また種子島島内に数ヶ所の観測所を設けている。
ロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になるが、種子島は日本最南端とはいえない位置にある。にもかかわらず種子島が選ばれたのは、1968年当時は沖縄は返還されておらず、小笠原も同年に返還されたばかりで、計画当時は間に合わなかったためである。なお、小笠原は種子島の東南東に位置し、種子島から打ち上げられたロケットの追跡に好適であるため、追跡施設が設置されている。
「世界一美しいロケット基地」とも言われる。世界的には広大な原野に発射台等の施設を点在させることが多い中で、種子島宇宙センターは緑の山の中に施設が点在し、発射台は珊瑚礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景を誇って呼ばれたものである。
なお、JAXAと周辺海域で操業している各県の漁業協同組合の協定により、種子島宇宙センターからの発射時期は制限されている。原則として、夏は7月22日から9月30日の71日間、冬は1月1日から2月28日の59日間が打ち上げ可能との制限がある。また、予備期間として、5月~6月と11月~12月は別枠に60日間の期間を設定できる。よって、年間最大190日間に制限されている。
[編集] 主なロケット打ち上げ実績
Jシリーズ - 1型
Nシリーズ - 1型, 2型
Hシリーズ - 1型, 2型, 2A型
[編集] 施設
[編集] 大崎射場
H-IIA打上 (11号機)大崎射場は、実用ロケットの打ち上げを目的として開設された、種子島宇宙センターの中核施設である。NASDA初の実用ロケットであるN-I以降、デルタロケットを基本としたロケットは大崎射点で打ち上げられた。大型で基本設計もまったく異なるH-II以降は、新設された吉信射点を使用している。また大崎射点はJ-Iに使用されたほか、GXの打ち上げに使用する案もある。
[編集] 吉信射点
吉信射点H-IIAロケットの打ち上げ施設であり、二つの発射台(JAXAの用語では射点)と、関連施設を持つ。H-IIロケットの開発に合わせて整備され、H-IIAの開発の際に拡張された。H-IIBロケットにも使用される予定だが、H-IIAとの共通性が高いため設備の改造は最小限にとどまる。J-Iロケット2号機の打ち上げも予定されていたが、計画中止された。
H-IIより前のロケットがいずれもデルタ2ロケットを基本としており1段目がほぼ共通で全体の寸法にも大差なかったのに対し、H-IIは完全新規設計で寸法もはるかに大きいため、あらゆる施設が新規に建設された。H-IIAはH-IIと同規模のロケットであるため、施設全体のレイアウトは大きく変更されることなく流用されたが。
個々の施設は大幅な改修を受けている。
目次 [非表示]
1 概要
2 主なロケット打ち上げ実績
3 施設
3.1 大崎射場
3.1.1 吉信射点
3.1.2 大崎射点
3.1.3 射点以外の設備
3.2 竹崎射場
3.3 射場以外の施設
4 所在地
5 関連項目
5.1 軌道投入後の運用管制センタ
5.2 固体ロケット関連の射場
6 外部リンク
[編集] 概要
ウオッちず Google Map 種子島宇宙センター
種子島宇宙センターは、1969年10月、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の前身、宇宙開発事業団 (NASDA) の設立時に開設された。面積は8.64平方キロメートル。現在はJAXAが保有しており、内之浦宇宙観測所でのM-Vロケット打ち上げが終了したXX年以後、日本の衛星打ち上げ用ロケットは全てここから打ち上げられている。
種子島宇宙センターは種子島の南、太平洋側にある南種子町の竹崎と吉信崎に囲まれた湾に面した土地に施設が点在しており、三つのロケット発射施設(JAXAの用語では射場)をもつ。また種子島島内に数ヶ所の観測所を設けている。
ロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になるが、種子島は日本最南端とはいえない位置にある。にもかかわらず種子島が選ばれたのは、1968年当時は沖縄は返還されておらず、小笠原も同年に返還されたばかりで、計画当時は間に合わなかったためである。なお、小笠原は種子島の東南東に位置し、種子島から打ち上げられたロケットの追跡に好適であるため、追跡施設が設置されている。
「世界一美しいロケット基地」とも言われる。世界的には広大な原野に発射台等の施設を点在させることが多い中で、種子島宇宙センターは緑の山の中に施設が点在し、発射台は珊瑚礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景を誇って呼ばれたものである。
なお、JAXAと周辺海域で操業している各県の漁業協同組合の協定により、種子島宇宙センターからの発射時期は制限されている。原則として、夏は7月22日から9月30日の71日間、冬は1月1日から2月28日の59日間が打ち上げ可能との制限がある。また、予備期間として、5月~6月と11月~12月は別枠に60日間の期間を設定できる。よって、年間最大190日間に制限されている。
[編集] 主なロケット打ち上げ実績
Jシリーズ - 1型
Nシリーズ - 1型, 2型
Hシリーズ - 1型, 2型, 2A型
[編集] 施設
[編集] 大崎射場
H-IIA打上 (11号機)大崎射場は、実用ロケットの打ち上げを目的として開設された、種子島宇宙センターの中核施設である。NASDA初の実用ロケットであるN-I以降、デルタロケットを基本としたロケットは大崎射点で打ち上げられた。大型で基本設計もまったく異なるH-II以降は、新設された吉信射点を使用している。また大崎射点はJ-Iに使用されたほか、GXの打ち上げに使用する案もある。
[編集] 吉信射点
吉信射点H-IIAロケットの打ち上げ施設であり、二つの発射台(JAXAの用語では射点)と、関連施設を持つ。H-IIロケットの開発に合わせて整備され、H-IIAの開発の際に拡張された。H-IIBロケットにも使用される予定だが、H-IIAとの共通性が高いため設備の改造は最小限にとどまる。J-Iロケット2号機の打ち上げも予定されていたが、計画中止された。
H-IIより前のロケットがいずれもデルタ2ロケットを基本としており1段目がほぼ共通で全体の寸法にも大差なかったのに対し、H-IIは完全新規設計で寸法もはるかに大きいため、あらゆる施設が新規に建設された。H-IIAはH-IIと同規模のロケットであるため、施設全体のレイアウトは大きく変更されることなく流用されたが。
個々の施設は大幅な改修を受けている。
— posted by サイト管理者 at 12:39 pm














Comments